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AG姫路キリスト教会ブログ

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アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団 姫路キリスト教会のブログです。
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毎週日曜日 AM 7:00〜 早天礼拝
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毎週水曜日 PM 7:30〜 祈祷会

<姫路キリスト教会>
兵庫県姫路市東延末2−73
Tel)079−224−7982 Fax)079−224−7983
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今週のメッセージ

2009/06/29 18:42
  『あなたを祝福し、あなたの名を高める』

       創世記12章1節〜7節 


   今週は信仰の父と呼ばれたアブラハムを通して、

   「信仰の人として生きるとはどのような生き方か」
 
   みていきましょう。


   神さまはアブラハムを選び、今いる所を離れ、神の示す地に

   行くように命じます。それと同時にアブラハムに祝福の源と

   なるものとして、絶大な祝福を約束されました。(1節〜3節

   私達は、神さまの一方的な恵みによって、救われ、神の国の

   相続人とされています。それが、どれほど価値のある

   素晴らしいことであるかを心に留めましょう。
 

   私たちは、私達を通して、周りの人に神さまの祝福を流しだす

   ものとして生かされているのです。
 

   さて、み言葉を聞いたアブラハムは、信仰に立ち、

   行き先も分からずただ神さまを頼りに旅立ちます。(4節〜)

   このアブラハムの行動は、信仰によって踏み出されたもの

   でした。

   私達も神さまの約束を信じて、行動することが大切です。

   神さまのお言葉に迷わず従ったアブラハムのように、

   信仰によって行動に移し、踏み出す時、神さまの

   大きな祝福があり、生きた証となっていくのです。

  
   その後、アブラハムは、カナンの地に入ります。しかし、

   そこにはもうすでにカナン人が住んでいました。

   せっかくたどり着いた地だというのにどうしたいいのか

   ・・・とつまずきを覚えたかも知れません。

   でも、アブラハムは、のぞみを失うことなく、神さまに

   祭壇を築き、神を礼拝しました。(〜7節)

   私達にも神さまを信じて踏み出したのに、困難や、

   まさかと思うような問題に突き当たることがあるかも

   知れません。そんな場合であっても、

   神さまの前に常に礼拝を第一にする

   これが、神さまに救われ、神の子とされた私達に

   忘れてはならない大切なことなのです。




   神さまのみ言葉と約束を信じ、神さまへの礼拝

   を生活の中心として、進んで行きましょう。ハレルヤ



   


   



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今週のメッセージ

2009/06/22 18:40
 『父ダビデのように』

         T列王記3章10節〜15節



  ダビデ王の子ソロモンは、ダビデの後継者として王位に就きました。

  神さまはソロモンに「何事でも願うがよい。あなたに与えよう。」と言わ

れます。するとソロモンは、自分のための長寿や富を求めず、また

敵の命でもなく、ただ王として必要な知恵を願いました。

  神さまは、このソロモンの願いを喜び、

  「もし、あなたがちちダビデの歩んだように、

わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら・・・」


(14節)とソロモンに祝福を約束されたのです。

  ソロモンの父ダビデの生涯には、人間的な過ちや失敗もいろいろ

ありました。しかし、ダビデの生涯は神さまに喜ばれ、認められる

ものでした。



  神さまに認められる歩みとは、「わたしの

掟と戒めを守って、 わたしの道を


歩む」


14節にあるように、神さまのみ言葉とその教えを忠実に

  守る歩みです。


  ダビデはこのみ言葉どうり神さまの前に忠実な歩みをを続けました。

  その子ソロモンも、父ダビデの姿を見て育ち、

  自分も父のように歩もうと思わされたのでしょう。


  わたしたちにも神さまは、「もし、わたしの戒めと掟を守って,

わたしの道を
 歩むなら・・・」

と問われています。

  もし・・・ダビデのように、み言葉の教えに忠実な者として歩むなら、神さまは

  祝福を約束してくださっています。


  あなたは、神さまの期待に応えられますか?

  

  

  

  
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今週のメッセージ

2009/06/15 19:02
  『弱い者への味方、主』

      第一ヨハネ2章1節〜6節
  

  私たち人間は、生きている中で間違いや過ち(罪)を犯してしまう弱い存
  在です。
 
  この聖書の箇所のはじめに、「わたしの子たちよ、これらのことを書くの

  は、あなたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯

  しても、
御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストが

  おられます。」(1節)とあります。


  私たちの罪のために主イエス・キリストがいて下さり、罪を許し、

  罪から解放して下さるお方なのです。もし、間違って罪を犯してしまった

  としても、私たちの味方となり弁護者となって、「わたしがここにいる

  よ・・」と優しく受け入れてくださるのです。


  また、このイエスさまがともにいて下さることの恵みを喜びながら、

  イエスさまと歩む心得も書かれています。それは、

  ・神さまの掟(み言葉)を守る。 (3節)

  ・神さまの愛に生きる。  (5節)

  ・イエスさまが歩まれたように私たちも歩む。  (6節)
 

  弱い私たちでも、義なる主イエス・キリストがともにいて
  
  私たちの歩みを照らす光となって下さいます。 

  今週もイエスさまに守られながら、生き生きと歩んでいきましょう。






  
  
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今日のメッセージは・・・

2009/06/07 15:50
 
  『神さまに対して富む人とは?』     
     

            ルカによる福音書 12章 13節〜21節



  この聖書箇所から、神さまの前に富む人とは、どんな人のことなのでしょう。

  その3つのポイントは・・・

  @天の恵みに感謝する人

  神さまに守られていること、今日を生かされていることを感謝しましょう。

  A天に宝を積む人

  自分の満足のためだけにではなく、他人の益になることに自分の
  富を使うことで、神さまのみ名が崇められ、それは豊かな実りとなります。

  B天に望みをつなぐ人 

  今の生活がすべてではなく、後に天国につながる永遠の命を約束されて
  いる私たちは、神の国に希望を持ちながら、歩んでいきましょう。


  明日への希望は神さまにあります。
  また、神さまを想うとき、生きる力が与えられます。
  日々、神さまを見上げて、本当の富む者となりましょう。
 
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明日のメッセージは・・・

2009/02/21 22:03
寒い毎日が続いています。
皆さん、いかがお過ごしですか?
少し遅くなってしまいましたが、今週もUPです!!


明日のメッセージは・・・
「落胆しません」 聖書)コリントの信徒への手紙第二4章1〜6節

「こういうわけで、わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられているのですから、落胆しません。」
パウロは、こう断言した。

再びコリントの教会の問題を聞いたパウロは、
コリントに赴き、問題解決に励むも、結果は不調に終わる。
その後、トロアスからマケドニアに向かった彼は、
そこでテトスに会い、コリントの教会の悔い改めを聞いたのである。

パウロの使途としての働きは、困難を擁していたが、
それでも彼は、「落胆しない」と言うことができた。

「わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。
・・・『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、
わたしたちの心の内に輝いて、
イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。」



皆さんは、ポジティブ?ネガティブ??
その中間という人も多いだろうと思いますが、
どこまでいっても、ポジティブな人、どうしてもネガティブな人っています。
じゃあ、その根拠は?
それは、どこからやってくる思い、考えなんでしょうか?
私たちは意外に、適当に考えていたり、不必要なほど悩んだりしてしまっていることがあると思います。

どんなことにも、根拠はイエス様に!
いつも出発点がイエス様なら、
ポジティブだとか、ネガティブだとかを超えて、一歩先の歩みをしていけるような気がします。


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2月15日メッセージ「あなたのささげものは何ですか」

2009/02/18 18:49
花粉が飛んでいる・・・と感じる今日この頃。
みなさん、いかがお過ごしですか?
自分のくしゃみの数が増えてきて、
目には見えないけど、花粉の存在を感じてきました。
うぅ〜〜、今年もやってきたか!


今週のメッセージは・・・
聖書)マタイによる福音書26章6〜16節から語られました。
(聖書内容は→こちら

私たちは主に対して何をささげているだろうか?

この一人の女は、高価な香油を惜しげもなくイエス様に注いだのである。
彼女は、彼女のもつ最上のものをささげたのであった。

一方、弟子たちは香油を惜しんだ。
そして、彼女の行為を無駄だと断言した。
ユダにいたっては、イエス様を売り渡すまでになっていたのである。

私たちがイエス様から受けた恵みは、どんな高価なものよりも尊いものである。
そのことが私たちの心の中にあるならば、弟子たちのようには言えないのである。

私たちは、イエス様から受けた恵みをないがしろにしていないだろうか?
イエス様から受けた恵みを喜び、感謝をもってささげているだろうか?

私たちには、最上のものをささげる信仰が必要である。

では、神が喜ばれる最上のささげものとはなんだろうか?

聖書には、
「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。」と書かれている。

神の喜ばれる最上のささげもの、
私たちがささげる最上のものは、私たち自身なのである。

私たちが、自分自身をささげる献身の思いと行いを、神はもっとも喜ばれるのだ。
私たちが自分自身をささげなければ、神に仕えることは難しい。
のちに、福音の宣べ伝えられるところで必ず語られたこの女のようになることはできないのである。


「わたしをあなたにささげます」
なんて言うと、そんなん絶対に無理やろ?!って思うようなフレーズですよね?
しかも、なんとなく自分がなくなってしまうような・・・そんな感じさえしてしまいます(笑)

でも、少し考えます。
なぜ神様は私自身をささげることを喜ばれるのか・・・って。
神様からすると、それってどのくらいのメリットがあると思いますか?
人間のどの性質、能力をとっても、神様に勝るものなんてありません。
メリットで考えるなら、私たちをささげたところで神様にメリットなんてないはずなんです。

わたし自身をささげるということは、
わたしの全部がなくなるということではなくて、
わたしの全部が神によって生きるということなのだと思います。

神様は私たちと一緒に歩みたいと願っておられる・・ということではないでしょうか?
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明日のメッセージは・・・

2009/02/14 20:26
今年のバレンタインデーは、気温もホットな一日でしたね。
私もチョコをいただき、ホットな気分です!
でも、やっぱりくださった方々の気持ちがうれしいですよね〜。
ありがとうございます!!


明日のメッセージは・・・
「あなたのささげものは何ですか」 聖書)マタイによる福音書26章6〜16節

ベタニアでのこと・・・
イエス様は、重い皮膚病の人シモンの家で食事をとっておられた。
そこへ一人の女がやってくる。

彼女は、手に高価な香油を持ってきてイエス様に近づき、
その香油をイエス様の頭に注いだのだった。

それを見ていた弟子たちは、瞬時に思った。
モッタイナイ!!
「なぜ、こんな無駄遣いをするのか!
高く売って、貧しい人々に施すことができたのに」

確かに・・・弟子たちの言うことはもっとものように思えた。

しかし、イエス様は言われた。
「なぜ、この人を困らせるのか?私に良いことをしてくれたのだ」と・・。
イエス様は、彼女がご自身の死の準備としてこのことをしてくれたと、
彼女の行動を喜ばれたのであった。

一方・・・12弟子のひとりユダは、祭司長たちのところへ赴いていた。
「あの男(イエス様)をあなたたちに引き渡せば、いくらくれますか」
彼は、イエス様を裏切ることを考えていた。
そこで、祭司長たちはイエス様と引き換えに、銀貨30枚を支払うことを約束した。


このごろ、買い物に行って気づくこと・・・しまった!エコバック!!
こんなことが何度かあったので、
最近では、かばんの中に小さくなるエコバックを入れています。
“エコ”といえば、環境問題を考えてのことですが、
リサイクル、リユースなど、エコから派生する言葉は、“もったいない”精神につながると思います。

でも、この“もったいない”・・・ちょっと“ケチ”にもつながるわけで・・・
その違いって?その境界線って?どこにあるんでしょうね。
きっと、私がわかっていないだけなのかもしれませんが、
ひとつだけ思うことは・・・
何を大切にしなければならないのか?
何が一番大事なのか?
ということがわかっていなければいけないな・・・ということです。

見せかけの“エコ”や、
自分だけが得する“もったいない”なんていりません。
本当に大切なことをしっかりともっていきたい・・・
そう思います。
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2月8日メッセージ「ハンナの祈り」

2009/02/10 13:55
昨日は夕方から雨が降りましたね〜。
暖かいと思っていても、雨が降ると寒いです。
冬の雨は苦手です。
皆さんはいかがお過ごしですか?

今週のお話は・・・
聖書)サムエル記上2章1〜10節から語られました。
(聖書内容は→こちら

サムエル記上1章から2章にかけて、ハンナのことが描かれている。
この物語を簡単に言うならば、
子供が授けられるようにと祈ったハンナに男の子サムエルが与えられたというお話であるが、
彼女に与えられものはサムエルだけだったのだろうか?

ハンナは子供が授からないという悩みと苦しみの日々を送っていた。
彼女のこの痛みのゆえに、何ものにも慰めを得なかったのである。
そんな彼女から出てきたのは、嘆きと訴えの祈りであった。
神と取り引きをするような…また他の人から見て、祈りに思えないような祈りだったのである。

しかし、ハンナが心を注ぎ出して祈った祈りを主は心に留められた。

彼女が心を注いで祈った祈りのすえに得たものは…
否、神が彼女の祈りを心留めて、彼女に与えられたものは、

1.平安であった。
心を注いで祈ったハンナの表情は祈りの後に変えられた。
のどを通らなかった食事もとることができた。
まだなんら状況は変わらなかったが、彼女には神からの平安が与えられたのである。

2.実際的な神の応えであった。
心を注いで祈ったハンナにサムエルが与えられた。
神は彼女の祈りを心に留め、実際的な神の応えをもって、彼女を顧みられた。

3.賛美の祈りであった。
ハンナが心を注いで祈って得られたものの中で、これが一番大きなものであった。
嘆き訴えた祈りが、主を賛美し、主を表し告白する祈りに変えられたのである。
せっかく与えられた一人息子を献げる時であっても、
再び前の祈りをすることはなかった。
彼女はこれらのことを通して、主が救いの神であり、すべての権限をもっておられる神であること、
そして、逆転を行われる神であることを知ったのである。
そして、高らかに主を賛美し、主を告白する祈りが与えられたのである。

私たちも悩み、苦しみ、痛みを抱えている。
しかし、それらをつぶやき、あきらめてしまうのではなく、
心を注いで、主に祈ろうではないか。
主は必ずその祈りを心に留め、私たちに与えてくださるのだから…。
平安と実際的な神の応え…、
そして、嘆きの祈りを賛美の祈りに変えてくださるのだから…。
今日も主の前に祈りをもって出てゆこう。


sunshine after rain…
大雨のあとの虹も美しいものです。
私たちの辛さも悩みも痛みも、
主が賛美に変えてくださるのなら、
こんなにすばらしいことはありません。
そして、その姿は雨のあとの日だまりのように暖かく、
大雨のあとの虹のように美しく、
私たちを通して主が表されのなら、
私たちの今は無駄ではないのですね。
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明日のメッセージは・・・

2009/02/07 21:19
2月第二週になりますね〜。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
今週はバレンタインデーでございますよー。
チョコ好きの私にとって、この時期のスーパー&デパートなどはとっても魅力的!
普段ないチョコレートがびっしりですから(笑)


明日のメッセージは・・・
「ハンナの祈り」 聖書)サムエル記上T2章1〜10節

ハンナという一人の女性。

子供が産まれないということでひどく苦しむハンナ・・・。
その悩みと苦しみは、どんなものにも慰めを得ないほどであった。

その悩みと苦しみを、主の御前に心を注いで祈る彼女。
主は、その彼女の祈りを心に留められ、彼女の願いを聞き入れられた。

2章から始まる彼女の祈り・・。
その祈りには、以前のような悩み・苦しみの祈りではなかった。
それは、まるで賛歌のように、
主をたたえ、万軍の主を表し、主のご性質を告げるものであった。

幼子を手放す母親とは思えないのである。

ハンナが心を注いで祈る祈りから得たもの・・・
その祈りを御心に留められた神がハンナに与えたもの・・・
それはなんであったか?

それは、ハンナの思いもしなかったものであった。


プレゼントって、本当は中身がわからないもの・・・なんじゃないですかね?
開けてビックリ!!っていうのが、本来“プレゼント”っていうものだと思うのですが・・・。

でも、もらってうれしい!開けて、なんだこれか・・・と思うことってあるかもしれません。
持っているものだったり、他に欲しいものがあったのに・・・というときって、
なかなか口に出してはいいませんが、あると思います!
だから、最近では福袋的なプレゼントをする人も減ってるような気がしますが。

神様のなさることって、意外とこんなときがあるものです。
ましてや、コレが欲しい!と言っていても、違うものをいただくときがあるのです。
でも、よくよく考えると、神様はその時に必要なものをくださっている。
神様のくださるものには、無駄なものはなく、すべてが理にかなったものなんです。

そう考えると、神様のくださるものは、やっぱりプレゼント。
開けてビックリ玉手箱!なのかもしれません。
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2月1日メッセージ「主と対話、対座しよう」

2009/02/04 19:13
ごめんなさい<(_ _)>
先週の“明日のメッセージは・・・”をUPするのを忘れていました。
本来なら、寒さで気が引き締まるはずなんですがねぇ・・・。
どうもすみません。


ということで、今週のメッセージは・・・
聖書)エレミヤ書1章4〜13節から語られました。

イスラエルの民に神の言葉を告げる預言者として選ばれた若いエレミヤ。
彼にとって、この選びは負いがたく、あまりにも大役すぎる・・・そう思えた。

「あぁ、わが主なる神よ
わたしは語る言葉を知りません。
わたしは若者にすぎませんから。」

そう言うエレミヤに、主は応えられた。

「若者にすぎないと言ってはならない。
わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行って
わたしが命じることをすべて語れ。
彼らを恐れるな。
わたしがあなたと共にいて
必ず救い出す」

エレミヤは、主との対話、対座の中で召命を受けたのである。

1.主の言葉を伝えるためには、主との対話、対座が必要である。
主はエレミヤに語られた。
そして、エレミヤの謙遜ともとれる言葉に対して、そう言ってはならないと言われたのである。
主は、私たちにも語っておられる。
主が語ろうとされているとき、私たちは何を思い、どうしているだろうか?
自分のことを伝えるだけで終わってしまっていないだろうか?

主は、私たちに何を語ろうとされているのか?
それを知るためには、私たちは主と対話し対座して、深い交わりをもたなければならない。
そこで初めて、主の思いを知ることができるのである。

2.主に従うこと。
エレミヤは、若者にすぎなかったかもしれない。
しかし、主と対話、対座して、その後主に従ったのである。
主が命じることを語る預言者となっていった。
私たちには、様々な思いがある。
時として、それは主の思いと違っているかもしれない。
けれども、エレミヤが主に従うことを選び取っていったように、
私たちも主に従うことを常に選ぶ者になろう。

3.主は、私を通して、主のわざを進めようとされている。
主は、若者エレミヤを選び、主のわざを担う者とさせられた。
主は、ご自身のわざを私たち人間を通してなさろうとされるのである。

主は私たち一人ひとりを選び、私たちに語っておられる。
私たちと対話し、対座して深く交わり、
交わるだけでなく、主のわざを担う者とされているのである。

―だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。
「主はわたしの助け手。
わたしは恐れない。
人はわたしに何ができるだろう。」
あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。
彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。(聖書)―



見た目・・・近づきにくい人っていますよね?
でも、案外しゃべってみるとそうでもないことってよくあります。
それも、みんなで話しているときにはわからなかったけど、
一対一で話してみると、思っていたのと違った・・・って経験もありますよね?
人は、対話してみないとわからないものです。
しかも、一対一になって、じっくり話してみないとわからないことなんてたくさんあります。

神様って・・・近づきにくい?よくわからない?
いえいえ、意外にそんなことないですよ。
対話し、対座してみると、案外そうでもない!
じっくり話してみると、思っているよりずっと、
神様がぐっと近づいてくださっていることに気がつくはずです。




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1月25日メッセージ「絶えず祈りなさい」

2009/01/28 17:55
寒い日が続くと、やっぱり恋しくなるのは鍋・鍋・鍋!!
皆さんは、何鍋が好きですか?
私は、大体どんな鍋でも好きですが、
欲を言うなら・・・かに鍋が食べたい・・・ハハ(笑)


今週のメッセージは・・・
聖書)ルカによる福音書18章1〜8節から語られました。
(聖書内容は→こちら

神を畏れず、人を人とも思わない冷酷な裁判官と、
必死にその裁判官に頼るやもめ。

この裁判官に頼る以外、問題解決はない!と行動を起したやもめの姿から、
イエス様は、「祈らなければならない」と教えられた。
イエス様は、祈りは私たちにとって必須条件であり、秘策であることを示されたのである。

その根拠は、神は必ず成してくださるという約束なのだ。
だから、クリスチャンは神とこの約束を信じて祈るのである。
いや、祈るならば、信仰もおこされるのだ。

やもめの必死な思いには、行動が伴っていた。
だから、祈りは行動を促すものなのである。
私たちが祈るならば、必ず具体的な行動への通知があるのだ。
だから、祈りは言葉ではなく、業なのである。

イエス様は最後に、
「果たして地上に信仰を見出すだろうか?」と言われた。
この問いかけに答えるのは、私たちである。
私たちは、信仰と祈りを持って、神の御心にかなうクリスチャンとなっていこう。


「成功の秘訣は、やめないこと」
先日テレビで、生キャラメルで有名な花畑牧場のT氏が言ってました。
う〜ん、確かに・・・なるほど一理あるなと思いました。
やめてしまえば楽かもしれません。
でも、そこで終わりです。
やめなければ、辛いところも苦しいところも通らなければならないかもしれません。
でも、続けていれば、何かの変化が見られてくるハズです。
そりゃぁ、良きにつけ悪きにつけですけれども・・・。

祈り続けるということ。
やめてしまうにはもったいない!!
そう思いませんか?
ここまで祈ってきたんですから・・・これからも続けて祈りましょう。
だって、私たちは全能の神に祈っているのですから・・・。


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明日のメッセージは・・・

2009/01/24 15:10
明日は、今月最後の日曜日です。早いですねぇ。
今週は、テレビでオバマさんの顔をよく見ます。
和製オバマさんも・・・(笑)


明日のメッセージは・・・
「絶えず祈りなさい」 聖書)ルカによる福音書18章1〜8節

イエス様は弟子たちにたとえを話された。

・・・ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。
ところが、その町に一人のやもめがいて、その裁判官のところに来ては、こう言っていたのである。

「相手を裁いて、わたしを守ってください」

この裁判官が、こんなことに耳を傾けるはずがない。
もちろん、取り合おうとはしなかった。
しかし、続けてやってくるやもめに嫌気がさして、こう考えるようになった。

「自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。
しかし、あのやもめはうるさくてかなわないから、あの女のために裁判をしてやろう。
そうしなければ、ひっきりなしにやってきて、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない!」・・・


こういうと、イエス様は言われた。
「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。
まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、
彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか・・・

言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。

しかし・・・
人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見出すだろうか・・・」

主イエスは、気を落とさずに絶えず祈ることを教えるために、こう語られた。


今週、アメリカでオバマ大統領の就任式がありました。
しっかし!すごい人でしたねぇ〜〜。
今、彼の演説集が本になって売られています。
その名言のひとつとなっているのが、「YES!WE CAN!」です。

例えば、アメリカの国を動かすということ、
昨今の経済問題や環境問題、
株価下落に伴う世界的不況・・・などなど、
絶対的に私にはできないことです。
・・・まして、難しくってよくわからないですしね(笑)

でも、それは何もできない・・ということではないのです。
私にも、そして一人ひとりにできることがある。
なぜなら、神様が一人ひとりに賜物と必要をお与えになったからです。
祈りは、そのひとつです。
究極的には、私には何もできないかもしれない。
しかし、私たちは神様に頼って祈ることができるんです。YES!WE CAN!!

私たちに与えられていることを用いることが、「新たな責任の時代」につながるのかもしれませんね。
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1月18日メッセージ「主の愛に応えよ」

2009/01/23 00:52
みなさま〜遅くなって申し訳ありません。
急いで!UPします!!


今週のメッセージは・・・
聖書)マタイによる福音書8章1〜4節から語られました。
(聖書内容は→こちら

重い皮膚病を患っている者がイエス様のところへやってきた。
この人の姿から、学びを得ていこう。

1.信仰の行動と告白をした。
誰でも病気にはかかりたくない。
ましてや、この人の病気は隔離されなければならないような病気であった。
こんな状況の中にいるなら、文句が出てきてもおかしくはない。
「神様、どうしてこんなことになってしまったのでしょうか?」と・・・。

しかし、この人は、そのような疑問をイエス様にしなかった。
この人が言ったのは、
「主よ、御心ならば清くすることがおできになります」という信仰の言葉であった。
この人は、イエス様の前にひれ伏して、信仰の行動と告白をしたのである。

私たちは、神を恨む生活ではなく、神の御心にそった生活をすることが大事である。
だから必ず私たちを守り、御心によって変えてくださるのであるから。
これが、主の愛である。

2.イエス様の与えてくださる愛を受け止めた。
主はこの人に対して、いや、この人の信仰に対して、即答された。
「よろしい、清くなれ」
その瞬間に、この人は病の癒し、勝利を得たのである。
病からの解放を得た。
つまり、神は愛と恵をすぐに与えられたのである。
この人は、信仰を表すことによって、これらを受け止めることができたのである。

3.主の愛に感謝し、証をした。
病がいやされて、それで終わりではなかった。
イエス様が言われたとおりに、この人はしたのである。
つまり、感謝をして献げ物をささげ、自分の体を持って証したのである。

私たちも、主からいただいているものを忘れてはいけない。
それらを感謝し、ささげ、証をするものとなっていきたい。


この日は、午後に新年こどもお楽しみ会がありました。
こどもたちが一生懸命ケーキを作りましたよ!
画像
こねる、こねる〜〜
・・・と中省略して、
画像
できあがり〜上手上手!
この日、みんなにみことばカードをあげました。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」
この言葉を、みんなが覚えて、実感してくれるといいな。

主イエス様の愛は、言葉だけではありません。
その愛は、私たちに触れ、私たちを守り、私たちを覆います。
その愛は、どんなときにも変わらず、どんなときでも力を与え、平安を与えるものです。
そして、わたしたちから離れないのです。
だから、わたしたちも言葉だけでなく、
私たちの心と全身で神様を愛しましょう。

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明日のメッセージは・・・

2009/01/17 21:20
1月も半分が過ぎました・・・。はやい!
今日も寒い一日でしたが、皆さんお元気ですか?
こんな日は、ストーブやコタツのところにすぐ行きたくなりますね(笑)
温まりたいですもんね。


明日のメッセージは・・・
「主の愛に応えよ」 聖書)マタイによる福音書8章1〜4節

主イエスの行くところには、いつも群集があった。
イエス様がなさることが不思議だったからである。

そこに一人の人が近づいてきた。
重い皮膚病を患う人・・・。
うつるかもしれない、その病を抱えて、不思議な業をするイエス様のもとにやってきたのである。

この人は、イエス様に言った。
「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」

病気が罪であった時代。
勇気をふりしぼって、イエス様の前でそのように言ったのである。

イエス様の顔に笑みがこぼれた・・・。
うつるかもしれない・・・そんな不安がイエス様にはなかった。
他の誰にもできなかっただろう。
イエス様は、手を差し伸べてその人に触れた・・・。

「よろしい。清くなれ」
イエス様が、その人の言葉に応えるようにそのように言われた。

たちまち、その人の皮膚病は清くなり、癒されたのである。

イエス様は、「誰にも話さないように気をつけなさい。
ただ、行って祭司に体を見せ、モーセの定めた供え物を献げて、人々に証明しなさい。」と言われた。


明日は、新年こどもお楽しみ会があります!
お菓子作りをしたり、映画を見たり、楽しいことが盛りだくさんです。
ぜひぜひ、親子でお越し下さいね。

イエス様が喜ぶこと・・・何だと思いますか?
それは、私たちがイエス様のもとに行くことです。
そして、イエス様にすがることです。
イエス様は自分のところに来る人々を追い返したりせず、
心から受け入れてくださるのです。
そう、こどものように素直な気持ちでイエス様の元に行く者を喜ばれます。
だから、四の五の言わずに、
とにかく!とりあえず・・・イエス様のもとにいきましょうよ!

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1月11日メッセージ「アブラハムのとりなし」

2009/01/14 18:52
寒いですねぇ〜〜。
心身ともに冷え切ってしまうような毎日ですが・・・、
神様を見上げていきましょうね!


今週のメッセージは・・・
聖書)創世記18章16〜33節から語られました。
(聖書内容は→こちら

気を落とさずに、絶えず祈る。
このことを、アブラハムの祈りから見ていきたい。

1.主の御前にとどまり、主の前に進み出て祈った。
ソドムの町に起こることを聞いたアブラハムは、
ソドムに下っていく2人についていくのではなく、主の前にとどまっていた。
彼は主の前を離れなかったのである。
それだけでなく、彼はさらに主の前に進み出て祈った。
彼は決意をもって、主に請い願うために、主に近づいたのである。

2.心の不安を残らず祈った。
正しい者の人数をあげていくアブラハム。
しかし、彼の心は晴れず、不安が残っていた。
そこで、彼は主の前にその不安も注いで祈ったのである。
あきらめるのではなく、自己判断するのでもなくて、
ただ、主にすがったのであった。

アブラハムの祈りには、もうひとつ大事なことがある・・。
それは、主と気持ちをあわせて祈ることであった。
彼は、主がどのようなお方であるかを知っていたのだろう。

主は、このように祈る者を放っておくことはできない。
主は、必ずその祈りに耳を傾け、かえりみてくださるのである。

なぜなら、主は裁くお方であるが、同時に憐れみ深いお方だからだ。
正しいゆえに正義を行い、審判を下さなければならない。
しかし、それと同時に、私たちを憐れみ、心から愛してくださるお方なのである。
悪を裁くお方・・・
しかし、悪から救うお方!
これが、アブラハムが気持ちをあわせ、進み出て、請い願って祈った神なのだ。

私たちも神の前に進み出て、私たちの心のすべてを注いで祈ろう!
主がどんなお方であるかをもう一度思い起こし、主と気持ちをあわせて祈ろう!
人々の救いのために同じ思いとなろう!


心を注いで、心をさらけ出して祈る・・・。
これって、意外に難しいものです。
だって、私たちの生活の中で心をさらけ出すなんてできないからです。
誰にだって秘密はあるだろうし、触れて欲しくないことだってあります。
それに社会では、言いたいことが言えない、言いたくないことを言わなければならないことだって、たくさんでしょ?
だから、祈りでもそうなってしまうんです。

でも、心をさらけ出すことができる・・・
そんな相手を持っていることは、とっても幸せなことです。
私の心を全部知っていてくださるお方がいる・・・それだけで生きる価値があります。
私たちの心を知り、私たちのすべてを知って、なお愛してくださる。
それが、神様です。


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明日のメッセージは・・・

2009/01/10 17:51
お仕事が始まって1週間ですね。
寒い中、皆様お疲れ様です。
気温も景気も寒い毎日ですが、主と共に希望をもって歩んでまいりましょう!

明日のメッセージは・・・
「アブラハムのとりなし」 聖書)創世記18章16〜33節

アブラハムは、彼のところに訪れてきた主の使いと共に、ソドムを見下ろすところまでやってきた。
そこまでやってくると、主は言われた。
「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか」

主は、主に従い、主に近しい者アブラハムに、ソドムに下ることを告げる。

主が下られる・・・ということは、裁きを意味していた。
確かにソドムの町は罪と悪が重いだろう・・・。
しかし、あそこには甥のロトがいる・・・。
アブラハムの心は痛んだ。

主の使いがソドムへ向かう中、アブラハムは主の前を離れなかった。
彼は、離れるどころか、むしろ主の前に進み出て、主に心を注いで訴え始めた。

・・・あなたは、正しい者と悪い者を一緒に滅ぼされるのですか・・・
あの町に50人の正しい者がいたとしても滅ぼし、お赦しにならないのですか?
正しい者と悪い者を同じ目に遭わされるようなこと、あなたはなされないはずだ・・ありえない!
全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか・・・・

主の前に進み出て祈るアブラハムの訴えを主は聞いておられた。
「もし、ソドムに50人の正しい人がいるなら、その人たちのために、町全部を赦そう」
アブラハムの訴えを聞き入れられた主。

しかし、アブラハムの心はまだ痛み続けた。
・・・主よ、もしかすると、50人に5人足りないかもしれません。
それでも、町を滅ぼされますか・・・

「45人いれば滅ぼさない」と主。

それを聞いてもなお、アブラハムは主の御前にとどまっていた。
・・・もしも40人なら・・・

「その40人のためにわたしはそれをしない」と主は答えられた。

それでも、アブラハムの不安は消えなかった。
・・・主よ、どうか怒らないで。もしかしたら30人しかいないかもしれません・・・

「30人のためにわたしはそれをしない」
主はさらにアブラハムの訴えを聞かれた。

アブラハムはまだ主から離れなかった。
・・・主よ、20人かもしれません・・・

「20人のためにわたしは滅ぼさない」

・・・もう一度だけ、言わせてください。10人しかいないかもしれません・・・・

「その10人のためにわたしは滅ぼさない」
主は、主の御前で心を注いで訴えかけるアブラハムの祈りを受け入れて、それをよしとされたのである。


このやりとりをみていると、
大阪のおばちゃんと商売人のやりとりを思わさせられます。
「まけて〜」というおばちゃんに、「これ以上まかりませんわ〜」というお店のおっちゃん。
こんな風に思うのは・・・ちょっと不謹慎かもしれないですね。

気を落とさずに、絶えず祈り、主であるイエス・キリストを宣べ伝える・・2009年!
私たちもアブラハムのように祈るものになってまいりましょう。

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1月4日「神の配剤」

2009/01/08 18:43
お正月があっという間に過ぎていきました。
ということで、だらけていたお正月の出来事を続けて書いている次第です・・・ハハ


新年礼拝のメッセージは、北野先生が語ってくださいました。

先生は、聖書)コヘレトの言葉3章1〜11節から、先生のお証を含めて語ってくださいました。

「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」

私たちは“時”というものを操作することはできません。
それを握っておられるのは、唯一、神だけであります。
私たちは、様々な時を過ごし、経験します。
さわやかな春かと思えば、灼熱の夏、また実りを迎える秋に、凍えるような寒さの冬。
そのどのときをとっても、私たちは左右できないばかりか、知ることも許されていないのです。

しかし、私たちは私たちの経験する“時”の背後に神の手があることを知っています。
神は、必ずその時々に神の配剤を置いてくださっているのです。
このことを知っているのと知っていないのとでは大きな違いがあります。

誰かとの出会いを通して、何かの経験を通して、
私たちがその背後にある神に近づくことができるように、
私たちの過去にも、そして今も、またこれからのちも、主の手が置かれている。
私たちは、神の時を神に守られて歩むことができるということなのです。

「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。」


この日、何故ゆえに北野先生が来られているかというと・・・
礼拝後に婚約式があったからでございます。
先生、ありがとうございました。

新しい年の初めに、婚約式ができたこと感謝です!
ちょっと書くのが恥ずかしいので・・・写真をUPしておきまーす。
画像

このために足を運んでくださった方々、
さまざまな準備をしてくださった教会の方たち、
また、いつもお祈りしてくださっている方々に、
心から感謝致します!!
もちろん、神様にも。
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2009年もよろしくです!

2009/01/08 18:21
年末年始とバタバタを過ぎて・・・
気がつけば、もう一週間経ってしまいました・・。
今年も、主と共に歩んでまいりましょう!


2009年 教会標語
「気を落とさず、絶えず祈り、主であるイエス・キリストを宣べ伝える!」
聖書)ルカ18:1&2コリ4:5


元旦礼拝で、今年の教会標語が語られました。

今年は、昨年の2割増ヴィジョンのver.UP!で進んでいこう!ということで、
3つのポイントがあげられました。

1.気力の回復
「気を落とさずに」とあるように、世の中においては暗いニュースばかりであるが、
私たちはイエス・キリストを見上げることによって、新しい力を得ていこう。

2.霊力の充電
「絶えず祈る」ということは、私たちの内に聖霊の活力をいただくことだ。
人間の力ではなく、聖霊の力によって、活きた信仰を持ち続けていこう。

3.奉仕の徹底
「キリストを伝える」ことは、私たちの奉仕の原点である。
私たちは、自分をのべ伝えるのではなく、誰かの救いのためにキリストを伝える者になってゆこう。


良くないニュースが聞こえてきます。
またか・・・と思うこともたくさんあります。
人のことを考えるより、自分のことで精一杯になるし、
心配事は尽きず、うだつのあがらないような毎日かもしれません。

それでも・・・
それでも、すばらしいことがあるんです!
確かに、すばらしいお方がおられるんです!
イエス様を信じて歩むことは苦難でしょうか?
いえ、イエス様を信じて歩むことは希望です。
どんなときにも・・・。
どこにいても・・・。

だから、気を落とさず、絶えず祈り、主であるイエス・キリストを宣べ伝えてまいりましょう!

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今年もありがとうございました。

2008/12/31 21:48
今年もあと数時間・・・
皆様にとって、どんな年だったでしょうか?

今週のメッセージは、
今年の標語聖句であった、
「ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、
あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。」
から語られました。

今年も様々なことが皆さんの上にあったでしょう。
しかし、そこで信仰に踏みとどまること・・。
さまざまな流れの中で踏んばること・・。
それが、今の私たちの信仰につながっていることを確認させられました。

また、私たちに与えられているのは福音の希望、神の愛であること。
それがあるからこそ、私たちは踏みとどまることができるのです。

神様が私たちに示してくれた命がけの愛をもう一度確認し、
今年も信仰に踏みとどまっていったように、
来年も主につながり、福音の希望をもって信仰に踏みとどまっていきましょう。

今年がどんな年だったか、振り返ると共に、
来年には、また主がどのようなことを成してくださるのか、期待をもって新しい年を迎えましょう。

今年も一年間ありがとうございました。
主の祝福が皆様の上にありますように・・・。

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明日のメッセージは・・・

2008/12/27 18:38
さぁ、皆さん!カウントダウンですよ!!
2008年も残すところわずか!
今年やり残していることはありませんか?
そして、来年への準備はできていますか?


明日のメッセージは・・・
「信仰に踏みとどまって」 聖書)コロサイの信徒への手紙1章23節

「ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、
あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。」


これは、今年の教会の標語としてあげられた御言葉です。
私たちは2割増ヴィジョンの達成はできたでしょうか?
私たちの信仰・・・
私たちの教会・・・
私たちの思いが今年一年神様に向いていたかどうか、
年の終わりに際して、もう一度思い起こしてみましょう。

今年一年、それぞれにまた教会にも様々なことがありました。
うれしいこともあったでしょう。
しかし、辛かったことや痛みもあったことでしょう。
もしかしたら、今もその過程にあるかもしれません。

しかし、主は私たちにヴィジョンを与えてくださっています。
私たちの思いをはるかに超えて働かれる神のヴィジョンが、
私たちひとりひとりに、そして教会に与えられているのです。
それを忘れないで欲しい・・・そう思います。

だから、やっぱり神様に感謝して一年を終えましょう。
だって、神様のヴィジョンは必ず実現するのですから!
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