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AG姫路キリスト教会ブログ

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AG姫路キリスト教会ブログ
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アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団 姫路キリスト教会のブログです。
教会のイベントの案内やお知らせをしています。
ぜひ、教会においで下さい!

      <集会案内>
毎週日曜日 AM 7:00〜 早天礼拝
        AM 9:00〜 日曜こども学校
        AM10:30〜 第一礼拝
        PM 2:30〜 第二礼拝
毎週水曜日 PM 7:30〜 祈祷会

<姫路キリスト教会>
兵庫県姫路市東延末2−73
Tel)079−224−7982 Fax)079−224−7983
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今週のメッセージ

2009/11/18 16:51
 
 『光と聖霊と』
      エフェソの信徒への手紙5章6節〜20節


  エフェソの信徒への手紙5章では、まず「新しく生きる」ために
  その生き方について、このように書かれています。
  1、神にならう者になる
  2、キリストの愛によって歩む
  3、聖なる者にふさわしく歩む
  4、すべてを感謝する
  5、神の国を引き継ぐものとして歩む

  この新しい生き方について語られたあとに、6節からは
  光の子として生きる歩みについて書かれています。

  いろいろな問題を抱え、何が真実であるかが分からなく
  なるような難しい現代ですが、聖書では、このような時代
  だからこそ、キリストにあって光の子らしく歩むこと
  聖霊に満たされて歩むことを私たちに語っています。

  神さまに救われ、神の子とされたなら、私たちの人生は
  神さまが支配してくださり、暗闇の中を歩くことなく
  むしろ暗闇をてらす光の子として歩むことが出来るのです。

  聖霊に満たされて感謝をささげ、何が神さまに喜ばれる
  かを吟味しながら、毎日を歩みましょう。

  神さまに救われ愛されている喜びが、あなたの内に
  満たされ感謝することは、光の子としてのあなたの喜び
  です。

  「詩篇と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神を
  ほめたたえなさい」
(コロサイの信徒への手紙3章16節)
  
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お知らせ

2009/11/09 19:47
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  11月15日(日)   14:30〜  
  映画会を開きます!!

 ぜひ、心温まる名画を教会でご覧下さい。
  


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今週のメッセージ

2009/10/30 19:35
 『賛美のちからと素晴らしさ』
       使徒言行録16章25節〜34節


  牢の中に入れられたパウロとシラスは、真夜中に賛美の歌を
  うたって、神に祈っていたとあります。
  彼らは、不本意と思われる事態の中、鞭打たれ肉体的に傷つき
  つらい状態でした。しかし、その真っ暗闇の牢の中で、ふたりは
  神さまに賛美と祈りをささげたのでした。

  何もできない苦しい状況にある時、神さまにすがり、祈ることは
  だれにでもできることですが、パウロとシラスのように神さまに
  賛美をささげることは、なかなかできることではありませんね。
  
  私たちがどんな状況の中でも神さまを賛美しほめたたえる
  ことができたなら、それは信仰の力であり、すばらしい恵み
  なのです。

  パウロとシラスも自分たちがどうしてこんな目にあわなければ
  ならないのか、納得できない状況におかれて、喜ぶことなど
  できない状態であったはず・・・でも、彼らは今ある自分たちの
  状況のすべてを神さまは知っていて下さることを喜び、賛美
  したのです。


  賛美は私たちの心を神さまに向ける力を持っています。
  また、賛美の中に神ご自身が臨在しておられ、賛美の
  なかに、祝福と恵みがあるのです。


  とても喜び賛美をささげることなどできるはずがない!と
  いうような時にも、神さまに目を上げ、神さまに期待して
  賛美とともに祈るとき、新しい力と信仰が与えられます。

  神さまを喜びましょう。賛美する信仰に立ちましょう。
  パウロとシラスのように、自分の状況を嘆くより、
  神さまを賛美し、喜び、祈り、期待する日々を送りましょう。
  それは、神さまから来るあなたの力になるのです。
  

 
  主はすばらしい。主はすばらしい!
    主はすばらしい!! わたしの主
   
  

  
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礼拝メッセージ

2009/10/21 18:04
 『同じように』  

               エフェソ3章5,6節

  この聖書の箇所では、パウロが異邦人のための働きを
  伝えています。
  このところから、私たちは『同じように』というキーワード
  でみ言葉をみていきましょう。


  まず、パウロと同じように・・ということ。
  パウロは、神さまから啓示を受け、神のご計画を知らされ
  た、選ばれた人でした。
  それは、異邦人にキリストの福音を伝え、それによって、
  異邦人が救われ、キリストに生きる者となることでした。

  パウロと同じように、私たちも福音を他の人に伝えていく、
  神さまの使命に立つ者となりましょう。


  次に、選ばれた民と同じように・・ということ。
  イスラエルの民は神に選ばれた民であり、神さまの
  祝福の相続人としての約束がありました。
  しかし、それはイスラエルだけに留まらず、異邦人
  にも同様に神さまの約束の恵みに与ることが許され
  ています。

  私たちも、同じように神さまの約束を受け継ぐ者とされました。
  神さまに近づき、与えられている約束の相続者として、
  その恵みを感謝しましょう。


  最後に、キリストと同じように・・ということ。
  私たちの心の内にキリストを住まわせること、キリストの
  愛に生きることが大切です。

  イエスさまと同じ姿に変えられた者として、いつもキリスト
  と共にあることを喜びましょう。


  『わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように
  主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と
  同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働き
  によることです。』(コリントの信徒への手紙3章18節)
  
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礼拝メッセージ

2009/09/28 15:59
 『アカンのしたことは』               
 ヨシュア7章1節、16〜23節


   エリコの町を占領したヨシュアとイスラエルの民でしたが、
   その民の中に神さまの言いつけにそむいたアカンがいました。
   「イスラエルは罪を犯し、わたしが命じた契約を破り、滅ぼし
   つくしてささげるべきものの一部うぃ盗み取り、ごまかして自分
   のものにした」(11節)

   アカンのしたことは本当にあかん(笑)  いえいえ・・・
   深刻なあかん事だったのです
   アカンの心にあったあかん事は何だったのでしょう?

   ・アカンは神さまの言われたことを守らなかった
   ・アカンは神さまを軽視して自分の欲望を重視した
   ・アカンの行為は神さまの怒りを招いた
   ということです。
   
   エリコの町を占領し、大勝利の喜び、神様への感謝のあとの
   悲しい出来事に、指導者ヨシュアはどれほど心を痛めたことでしょう。
   
   神さまの怒りははアカンだけでなく、連帯責任としてイスラエル
   全体に及びました。

   私たちも現代のアカンになってはいけません。
   神さまに従うことを軽くみて、自分の思いを先行させてしまう
   ようなことはないでしょうか・・・
   アカンにならないためには、主とともに聖霊に導かれて歩む
   ことが第一条件です。

   神さまのみ言葉に従い、神さまに喜ばれる私たちとなりましょう。
   「アカンにはならない!!神さま、わたしを支え、あなたを第一に
   して、従うものとして下さい」 と祈り、今週も進んでいきましょう。

   『あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に
   住まわれる聖霊によって守りなさい』
  (テモテへの手紙U1章14節)
   
   
  
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召天された姉妹を偲んで

2009/09/16 17:57

  私たちの教会の愛する姉妹が、先週亡くなりました。96歳でした。
  今週の日曜日は、その姉妹を偲んで礼拝が行われました。
 

  「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。」
          コロサイの信徒への手紙4章2節〜6節

   この聖書のみことばのとおりに、姉妹はよく祈るかたでした。
   それは、自分のためではなく、まわりの人のためにいつも
   祈られた、本当に祈りの奉仕者でした。

   姉妹がいつも口癖のように、「ハレルヤ、ハレルヤ」と言い
   ながら、祈られる姿が心に残っています。

   聖書は、私たちと神さまとの交つうをとどめないようにと
   語っています。
   祈りの生活に真剣であること、ひたすら祈り、神さま
   との交わりをいつも持ち続けるようにということです。

   姉妹はこのみ言葉を忠実に守り、いつも祈りながら
   感謝の生活を送り、そして、この地上での生を終えて
   神さまのいる天国へと帰って行かれました。

   私たちの地上での命は、神さまのみ手の中にあります。
   日々祈り、神さまとの交わりを持ちながら、
   平安や喜び、聖霊に満ちたえ生活を送りましょう。

   教会の宝であった、愛する姉妹・・・
   やさしい姉妹の笑顔を心に思いながら、私たちも
   いつか天国で姉妹に会えることを望みをもって、
   地上での生活を神さまとともに歩み、天国に行ける
   その日まで、祈りつつ歩んでいきたいです。
   

    
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礼拝メッセージ

2009/09/08 18:16
 『自分の足でまっすぐ立ちなさい。』
       使徒言行録14章8節〜20節

  リストラという場所での三様の出来事が書かれています。
  足の不自由な男が歩き出したことで、パウロとバルナバは
  神として崇められました。が、二人はそれを否定して、
  生ける神こそ崇められるお方であることを人々に伝えました。
  ところが、パウロはユダヤ人から石を投げつけられて、
  死んだと思われたのですが、再度福音のために立ち上がった
  ということを見ることができます。


  これらから共通するのは
  @聖霊に導かれていること
  A聖霊の働きは人を助ける
  B聖霊の助けを得て自分の足で立つこと
  という点です。


  聖霊に導かれないと相手の信仰も、また何が必要であるかも
  分かりません。足の不自由な男に「いやされるのにふさわしい
  信仰があるのを認めて・・・」(9節)とあるように、聖霊に導かれ
  た判断により、パウロが「自分の足でまっすぐたちなさい。」
  と言ったことは、聖霊に導かれた行動であり、いやしの業でした。
  

  また、パウロ、バルナバが神に仕立てられたことでは、有頂天
  になるのではなく、神に栄光を帰することができました。
  石で打たれ、死んだと思われたパウロですが、立ち上がって
  再び福音を伝える働きができたのも聖霊の導き、
  働きであることを知ることができます。
  

  この三様の出来事の背後にあるのは、聖霊です。
  聖霊の導き、助け、働きは私たちイエスさまを信じる信仰生活
  に必須です。
  ですから、聖霊の導きに従い得るならば、間違いのない信仰
  生活の歩みができるのです。聖霊に満たされることを求めま
  しょう。
  聖霊に満たされて、イエスさまによる救いを感謝し、喜びを
  もって主に仕える歩みこそ自分の足で立つ信仰の歩みです。
  
  パウロは言いました。
  「自分の足でまっすぐ立ちなさい。」(10節)と。 
  足の不自由な男は立ち上がりました。そして癒されました。
  感謝と喜びで踊り上がって歩みだしたのです。
  それがあなたです。聖霊を求めて満たされましょう。
  そして、いつも聖霊に導かれる信仰者になりましょう。
  
  
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礼拝メッセージ

2009/09/01 19:10
  『顔と顔を合わせて』
      ルカによる福音書9章28節〜36節

   イエスさまは、弟子のペトロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈るため
   山に登られました。
   祈っておられると、イエスさまの様子が白く栄光に包まれたお姿
   に変わり、モーセとエリヤが現れて、イエスさまと語り合っている
   のでした。それはどれほど素晴らしい臨場感のある光景だったか
   は、弟子ペトロの言葉からも、伺えます。(33節)


   
   イエスさまは、モーセやエリヤと何を語りあっていたのでしょう?
   31節には、「エルサレムで遂げようとしておられる最期に
   ついて話していた。」
と書かれています。
   最後とは、イエスさまの十字架の死と復活を
   表しています。
   地上から天へと上げられる出発を意味していました。

   もうひとつ、白く輝く栄光の姿とは、何を表していたのでしょう?
   それは、復活の栄光の輝きイエスさまの変えられた
   お姿を表しています。
   弟子たちは、後に起ころうとしている十字架の死から三日目に
   よみがえられたイエスさまの栄光の姿を先に見たのでした。



   「顔と顔を合わせて見る」(申命記34:10・コリント第一13:12)
   イエスさまの素晴らしい栄光に満ち輝く姿を拝することの
   できた弟子たち。
   地上で生かされている私たちの内には、イエスさまが共に
   いてくださって、イエスさまの素晴らしい輝きがあなたの
   輝きとなることを、信じましょう。
   後に、私たちが天国に上げられるとき、弟子たちのように
   イエスさまの栄光のお姿を拝し、顔と顔を合わせて語り
   合えることができる

   「わたしがここにいるのは、すばらしいことです。」  
   と言えるよう、地上での毎日をイエスさまを見上げて
   歩んでいきましょう。
   
   
   

   
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礼拝メッセージ

2009/08/24 18:06
 『イエス様が私たちに求められている信仰』  
    マルコによる福音書4章35節〜41節


  この聖書の箇所は、イエス様とその弟子たちが舟で向こう岸
  までわたっている間に起こった出来事が書かれています。
  舟でわたっている途中、突然の嵐に遭遇してしまい、慌て、
  不安になる弟子たち。イエス様はというと・・・そのような中で
  静かに眠っておられました。
  弟子たちはそんなイエス様に「わたしたちがおぼれても
  かまわないのですか!」(38節)と抗議とも非難ともいえる
  言葉を投げかけたのです。
  イエス様は起き上がり、嵐を静めて、弟子たちにこう言われ
  ました。
  「なぜ、怖がるのか。まだ、信じないのか。」(40節)


  私たちの人生は、この舟のように、思いがけない問題や困難、
  想定外の出来事に遭遇することがあります。まさしく、嵐に
  見舞われるような時、人間は弟子たちと同じ、慌て、不安で
  いっぱいになる弱い存在です。

  弟子たちが、嵐の中で平安をなくし、心を騒がせていた時、
  そばには一緒にイエス様がおられました。私たちが嵐の中に
  ある時も、イエス様は静かに私たちといっしょにおられて、
  「落ち着きなさい。わたしがそばにいる。慌てるな。」と語って
  おられます。


  あなたが悲しい時も、痛むときも、希望を見失うようなときも、
  どのような嵐の中にあっても、あなたのうちに共にいて、
  ひとりでは持ちきれないつらさを担って下さっています。
  人生の中の危険も安全もイエス様とともにあるのです。


  あなたの生活の中の困難や問題のために、祈りましょう。
  常に祈りましょう。嵐は静まり、神さまからの平安が
  あなたに与えられます。
  「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を
  与える。心を騒がせるな。おびえるな。」
ヨハネ:14章27節)


  さて、この舟出は、イエス様の言葉によって、出発しました。
  イエス様にはこの嵐は想定内の出来事だったのでしょう。
  弟子たちは、イエス様の言葉に信頼し、舟をだしました。
  そして、嵐に遭遇しながらも、ちゃんと向こう岸に着くことが
  出来たのです。

  神さまの言葉を信頼し、固く立って踏む出す時、どのような
  事が起きても、神さまの守りの中で行き着くことが出来ます。
  祈りの中で、神さまの答えが示されたなら、信じて
  踏み出して行きましょう。
  あなたの信仰による舟出は、神さまの保障付きです
  
  
  
  

  
  
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礼拝メッセージ

2009/08/17 18:48
 
  『ざる式信仰の良し悪し』        詩篇103篇1節〜5節


  ダビデは、主の恵みを想い、感謝して賛美の詩を神さまに
  捧げました。
  「主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。」(3節)
  と記されているように、
  神さまの恵み、報酬のすべてを何ひとつ忘れては
  いけません、と私たちにも教えられています。


  さて、今回のメッセージのテーマには、「ざる式信仰」と掲げられて
  いますが・・・〈ざる式〉ってなあに?と思われた方もいるのでは・・・

  ざるで物をすくい上げると、水分や余分なものは流れて、必要なもの
  だけが、ざるの中に残りますよね。
  私たちの心の中をざるですくいあげてみたとしたら・・・?
  何が必要なものとして、残るでしょう?
  主の恵みをもらすことなく、しっかり心の中にとどめられて
  いるでしょうか?
  もしかしたら、不平・不満や自分勝手な思いだけが
  心の中に残ってしまって
  神さまから頂いた恵みは、すっかり忘れ去られて
  いるようなことはないでしょうか・・・。



  神さまは、私たちをいつも愛して下さり、恵みに満たして
  くださっています。
  頂いている恵みを忘れることなく、あなたの中にとどめて、
  感謝と賛美で生活する日々を送りましょう。
  それは、「病を癒し」「慈しみと憐れみ」「良いものに
  満ちたらせ」「若さを新たにして」(3節〜5節)と
  主のあふれる恵みで満たされ、限りない祝福に
  つながっているのです。


  今日も明日も、いつも、どんな時も、主の恵みは
  あなたにあふれています。
  そのことを忘れないで歩んでいきましょう
  

  
  
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礼拝メッセージ

2009/08/10 18:24
  『選ばれているのです。感謝です。』               
                     イザヤ書43章10、11節

   「わたしが選んだわたしの僕(しもべ)」(10節)
   とイスラエル人に神さまは言われました。この箇所から、
   ”あなたはわたしが選んだ、わたしのしもべです。そのことを知り、
   信じて、主に選ばれたものとして努めなさい。”という神さまの
   メッセージを知ることができます。

   また、旧約だけでなく、新約聖書の中からも、同じ意味を持つ
   み言葉をみることができます。
   ヨハネによる福音書15章16節では、『あなたがたがわたしを選んだ
   のではない。わたしがあなたを選んだ。』とイエスさまが言われ
   ました。

 
   神さまの選びは、聖書の中だけでなく、時代を超えて、今現在
   も同じです。
   私たちは、神さまの一方的な愛によって、救われ、選ばれて
   います。あなたが自分の意志で神さまを選んだのでは
   ないことを覚えましょう。

   では、なぜ、私たちは神さまに選ばれたのでしょう?
   優秀だから?人より秀でたものをもっているから?
   人の目に見える評価ではなく、神さまの目にあなたは
   選ばれる価値があるから。あなた自身を神さまは
   認めておられるのです。


   神さまに選ばれている私たち。
   救い主である唯一の神を信じ、神さまから
   ゆだねられている信仰の実を、結ぶ者となりましょう。
   神さまに救われ、頂いている恵みを感謝しましょう。
   この恵みを、まだ、救われていない人に伝えていき、
   後々の世代にまで引き継いでいける者となりましょう。

   

   
   
   
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礼拝メッセージ

2009/08/03 17:55
  『主を信じるものよ、立ち上がれ』
           ヨハネの黙示録3章14節〜22節


  「私はあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく
  熱くもない。・・・熱くも冷たくもなく、なまぬるい」(15節、16節)

  神さまは、ラオディキアにある教会に、このように言われました。
  裕福で、神さまを必要とすることを忘れ、信仰が弱くなって
  いた教会の信徒へ、神さまは、このような厳しい言葉を
  述べて、悔い改め、熱心に神さまを愛するものとなりなさい
  と、強く命じられたのです。

  私たち自身は、どうでしょうか?
  あなたの信仰は、神さまの言われる、「冷たくも熱くもなく
  なまぬるい」ものになってはいませんか?
  
  「わたしは、愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、
  熱心に努めよ、悔い改めよ。」(19節)
  神さまは、私たちを、熱く熱く愛してくださっています。
  ご自身のひとり子であるイエスさまを十字架にかけ、
  私たちの罪をあがなってくださったほどに、私たちは
  愛されているのです。
  その神さまへの信仰がなまぬるいとしたら、悔い改め
  なくてはいけません。

  神さまが、私たちに聖書のみ言葉やメッセージ、また
  聖霊をとおして示されることを素直に受け止めて
  神さまの深い、熱い愛にこたえていくクリスチャン
  となりましょう。

  なまぬるかった自分の信仰を悔い改めて、熱い信仰を
  持ち続け勝利を得るものとなるよう、神さまは
  願っておられます。
  さあ、今週も信仰に立って歩む日々を送りましょう
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礼拝メッセージ

2009/07/27 18:17
 『賛美の恵み、賛美の祝福』               
         歴代誌上16章


  神さまの契約の箱。それは、イスラエルの
  人々にとって、とても重要で大切なものでした。
  この時、契約の箱の中には石版の十戒が入っていました。
  
  ペリシテ人に一度は盗まれた契約の箱ですが、
  後にイスラエルに戻ってきます。
  ダビデの時代、長い年月を経て、イスラエルの天幕に
  契約の箱が戻ってきたことに感謝して、人々は神さまに
  賛美をささげました。

  神さまを崇め、賛美をささげる 
  イスラエルの人々にとってそれは、先祖代々受け継がれた、
  人々の生活に欠かせない祝福とされていました。

 
  さて、私たちの日々の歩みを振り返ってみましょう。
  神さまを賛美することは、自分に良いことがあったから、
  嬉しいから、いい気分だから・・・といった自分本位の
  理由ではなく、むしろ、私の今の状態がどうであっても
  神さまは崇められ、賛美されるべきお方なのです。
  自分の感情や状況に左右されるのでなく、どんな場合
  でも神さまを見上げ、神さまに賛美をささげるとき、
  私たちは神さまの臨在を感じることができ、心を束縛
  するものから解放されます。

  
  あなたがどのような困難の中にあっても、神さまを崇め、
  賛美していく時、その問題に具体的な解決がなされて
  いくでしょう。
  神さまを喜び、感謝と賛美をささげていきましょう。
  それは、あなたの祝福、恵み、力に繋がっています。


  「賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を
  絶えず神にささげましょう。」 (ヘブライ人への手紙13章15節)
  


  
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ファミリーキャンプ2009

2009/07/21 19:35
 7月19日〜20日、教会のファミリーキャンプに行って来ました!!
 今年のキャンプは、兵庫県立嬉野台生涯教育センターで、
 行われました。

 キャンプのテーマは・・・
 『神に心をむける』でした。
 「主よ、お話ください。僕は聞いております。」(サムエル記3章9節)
 少年サムエルのこの祈りから、私たちも、神さまを見上げ、
 神さまに心をむけて、主の声を聴く者となることを
 おしえられました。


 1日目 
 礼拝後、教会を出発・・・
 途中、播磨中央公園に寄り、お弁当&遊びタイム
 サイクリングで楽しむグループもありました。

 
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 キャンプ場に着くと、あいにくの・・・
 でも、ロッジで、キャンプファイアー?をして、
 楽しい、良い時間を過ごしました。

 
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 チーム対抗ゲームでは、熱いバトルが!!

 
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 おいしい食事

 
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 寝る前には、なんと!セミの羽化をみました。
 みんな、大興奮!
 
 
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 2日目
 この日もでしたが、濡れた木々の
 緑がとてもきれいで、すがすがしい気分で半日を過ごしました。

 朝の礼拝

 
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 楽しかったキャンプ、笑顔でハイ、チーズ

 
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 2日間、神さまに守られて、素晴らしいキャンプになりました。
 感謝でした!!

 
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お知らせ

2009/07/13 19:16

  来週(7月19日)の礼拝は、9時45分〜始まります。
  お間違えのないよう、お知らせいたします。
 
  どうぞ、礼拝にお越し下さい
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今週のメッセージ

2009/07/13 18:53
 
 『輝くのは誰ですか?』               
      フィリピの信徒への手紙2章12節〜18節


  「よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子
  として世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つ」

                        (15,16節) 
 
  
  この聖書の箇所に書かれているように、間違ったことが正しく
  なってしまうような混沌としたこの時代、この世の中で生きる
  私たち・・・
  神は、私たちに、このような世で神の子として、闇の中で、
  星のように光輝く存在であるようにといわれています。

  
  神さまに救われて、神の子とされた私たちは、世の光となって
  輝く、生き生きとしたクリスチャンであるようにと神さまは願って
  おられます。
  あなたが、今日生かされているのは、神さまの救いがあるから
  です。
  そのことを思い、喜びながら毎日を生きることは、あなたがその
  周りで、光輝く存在となり、神さまの素晴らしい存在を、
  あなたを通して周りの人々が知っていくということなのです。


  信仰をしっかり持って、神さまの恵みを他の人にも分け与えて
  いく歩みのできる私たちとなりましょう。
  
  神さまの下さった、あなたの輝きが、闇に埋もれて
  消えてしまうことのないように・・・
  小さな光でも、神さまのために輝くことができます。
  
  さあ、自信をもって、あなたの神の子としての光を輝かせて
  今週も生き生きと歩んでいきましょう
  
  
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今週のメッセージ

2009/07/06 18:47
 昨日の礼拝メッセージは、町田聖書教会の吉永豊先生が
 語って下さいました。

   
  『私たちの信仰は最高にめでたいもの!』       
          ヘブライ人への手紙11章1節〜7節

  
 私たちは、目に見えるものや事がらに喜んだり、悲しんだり、
 気を落としたり・・・してしまいます。
 聖書の時代も、例外でなく、人々は目に見えることに一喜一憂して
 いました。
 しかし、現代の私たちは、それ以上に見えることに固執して
 生きているように思えます。

 私たちの日々の生活の中で、めでたい?それとも、めでたくない?
  どちらの歩みに行くか・・・
  さまざまな場合で、分かれ道に立たされます。
 目に見える現実に左右されてしまう時、信仰の目を開くことが大切です。
 そのためには、どうしたら良いでしょう・・・そのカギは、
 お祈りすること聖書のことばを読むこと です。


 私たちの生活の中で祈ることがどれだけ生活の一部になって
 いるでしょうか?毎日の祈りは私たちの信仰を強くします。
 もし、心が塞がって祈れない時は、自分が祈れなくなってしまう
 弱さを受け止めながら、「このようなわたしのために、祈って
 下さい。」と声を上げ、同じクリスチャンと祈りを共にしてもらう
 ことも必要です。
 
 私たちが神さまから示され、確信してささげる祈りには、
 神さまのご計画があります。目に見える現実をしっかり
 見、信仰もって祈る時、今は目に見えないけれど、その背後に
 ある神さまの素晴らしいご計画を見ることができるのです。
 

 また、神さまのみことばには力があります。
 聖書のことばに土台を置いて、生きている人は
 信仰のめでたさを体験することができます。
 聖書のことばが私たちの人生を新しくつくり変えて、神さまの
 証人となる歩みができるのです。


 お祈りすること、聖書のことばを読むこと
 この二つのカギをしっかり握り、信仰のめでたさを
 体験できるクリスチャンとなりましょう。
  
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今週のメッセージ

2009/06/29 18:42
  『あなたを祝福し、あなたの名を高める』

       創世記12章1節〜7節 


   今週は信仰の父と呼ばれたアブラハムを通して、

   「信仰の人として生きるとはどのような生き方か」
 
   みていきましょう。


   神さまはアブラハムを選び、今いる所を離れ、神の示す地に

   行くように命じます。それと同時にアブラハムに祝福の源と

   なるものとして、絶大な祝福を約束されました。(1節〜3節

   私達は、神さまの一方的な恵みによって、救われ、神の国の

   相続人とされています。それが、どれほど価値のある

   素晴らしいことであるかを心に留めましょう。
 

   私たちは、私達を通して、周りの人に神さまの祝福を流しだす

   ものとして生かされているのです。
 

   さて、み言葉を聞いたアブラハムは、信仰に立ち、

   行き先も分からずただ神さまを頼りに旅立ちます。(4節〜)

   このアブラハムの行動は、信仰によって踏み出されたもの

   でした。

   私達も神さまの約束を信じて、行動することが大切です。

   神さまのお言葉に迷わず従ったアブラハムのように、

   信仰によって行動に移し、踏み出す時、神さまの

   大きな祝福があり、生きた証となっていくのです。

  
   その後、アブラハムは、カナンの地に入ります。しかし、

   そこにはもうすでにカナン人が住んでいました。

   せっかくたどり着いた地だというのにどうしたいいのか

   ・・・とつまずきを覚えたかも知れません。

   でも、アブラハムは、のぞみを失うことなく、神さまに

   祭壇を築き、神を礼拝しました。(〜7節)

   私達にも神さまを信じて踏み出したのに、困難や、

   まさかと思うような問題に突き当たることがあるかも

   知れません。そんな場合であっても、

   神さまの前に常に礼拝を第一にする

   これが、神さまに救われ、神の子とされた私達に

   忘れてはならない大切なことなのです。




   神さまのみ言葉と約束を信じ、神さまへの礼拝

   を生活の中心として、進んで行きましょう。ハレルヤ



   


   



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今週のメッセージ

2009/06/22 18:40
 『父ダビデのように』

         T列王記3章10節〜15節



  ダビデ王の子ソロモンは、ダビデの後継者として王位に就きました。

  神さまはソロモンに「何事でも願うがよい。あなたに与えよう。」と言わ

れます。するとソロモンは、自分のための長寿や富を求めず、また

敵の命でもなく、ただ王として必要な知恵を願いました。

  神さまは、このソロモンの願いを喜び、

  「もし、あなたがちちダビデの歩んだように、

わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら・・・」


(14節)とソロモンに祝福を約束されたのです。

  ソロモンの父ダビデの生涯には、人間的な過ちや失敗もいろいろ

ありました。しかし、ダビデの生涯は神さまに喜ばれ、認められる

ものでした。



  神さまに認められる歩みとは、「わたしの

掟と戒めを守って、 わたしの道を


歩む」


14節にあるように、神さまのみ言葉とその教えを忠実に

  守る歩みです。


  ダビデはこのみ言葉どうり神さまの前に忠実な歩みをを続けました。

  その子ソロモンも、父ダビデの姿を見て育ち、

  自分も父のように歩もうと思わされたのでしょう。


  わたしたちにも神さまは、「もし、わたしの戒めと掟を守って,

わたしの道を
 歩むなら・・・」

と問われています。

  もし・・・ダビデのように、み言葉の教えに忠実な者として歩むなら、神さまは

  祝福を約束してくださっています。


  あなたは、神さまの期待に応えられますか?

  

  

  

  
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今週のメッセージ

2009/06/15 19:02
  『弱い者への味方、主』

      第一ヨハネ2章1節〜6節
  

  私たち人間は、生きている中で間違いや過ち(罪)を犯してしまう弱い存
  在です。
 
  この聖書の箇所のはじめに、「わたしの子たちよ、これらのことを書くの

  は、あなたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯

  しても、
御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストが

  おられます。」(1節)とあります。


  私たちの罪のために主イエス・キリストがいて下さり、罪を許し、

  罪から解放して下さるお方なのです。もし、間違って罪を犯してしまった

  としても、私たちの味方となり弁護者となって、「わたしがここにいる

  よ・・」と優しく受け入れてくださるのです。


  また、このイエスさまがともにいて下さることの恵みを喜びながら、

  イエスさまと歩む心得も書かれています。それは、

  ・神さまの掟(み言葉)を守る。 (3節)

  ・神さまの愛に生きる。  (5節)

  ・イエスさまが歩まれたように私たちも歩む。  (6節)
 

  弱い私たちでも、義なる主イエス・キリストがともにいて
  
  私たちの歩みを照らす光となって下さいます。 

  今週もイエスさまに守られながら、生き生きと歩んでいきましょう。






  
  
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