1月11日メッセージ「アブラハムのとりなし」

寒いですねぇ~~。
心身ともに冷え切ってしまうような毎日ですが・・・、
神様を見上げていきましょうね!


今週のメッセージは・・・
聖書)創世記18章16~33節から語られました。
(聖書内容は→こちら

気を落とさずに、絶えず祈る。
このことを、アブラハムの祈りから見ていきたい。

1.主の御前にとどまり、主の前に進み出て祈った。
ソドムの町に起こることを聞いたアブラハムは、
ソドムに下っていく2人についていくのではなく、主の前にとどまっていた。
彼は主の前を離れなかったのである。
それだけでなく、彼はさらに主の前に進み出て祈った。
彼は決意をもって、主に請い願うために、主に近づいたのである。

2.心の不安を残らず祈った。
正しい者の人数をあげていくアブラハム。
しかし、彼の心は晴れず、不安が残っていた。
そこで、彼は主の前にその不安も注いで祈ったのである。
あきらめるのではなく、自己判断するのでもなくて、
ただ、主にすがったのであった。

アブラハムの祈りには、もうひとつ大事なことがある・・。
それは、主と気持ちをあわせて祈ることであった。
彼は、主がどのようなお方であるかを知っていたのだろう。

主は、このように祈る者を放っておくことはできない。
主は、必ずその祈りに耳を傾け、かえりみてくださるのである。

なぜなら、主は裁くお方であるが、同時に憐れみ深いお方だからだ。
正しいゆえに正義を行い、審判を下さなければならない。
しかし、それと同時に、私たちを憐れみ、心から愛してくださるお方なのである。
悪を裁くお方・・・
しかし、悪から救うお方!
これが、アブラハムが気持ちをあわせ、進み出て、請い願って祈った神なのだ。

私たちも神の前に進み出て、私たちの心のすべてを注いで祈ろう!
主がどんなお方であるかをもう一度思い起こし、主と気持ちをあわせて祈ろう!
人々の救いのために同じ思いとなろう!


心を注いで、心をさらけ出して祈る・・・。
これって、意外に難しいものです。
だって、私たちの生活の中で心をさらけ出すなんてできないからです。
誰にだって秘密はあるだろうし、触れて欲しくないことだってあります。
それに社会では、言いたいことが言えない、言いたくないことを言わなければならないことだって、たくさんでしょ?
だから、祈りでもそうなってしまうんです。

でも、心をさらけ出すことができる・・・
そんな相手を持っていることは、とっても幸せなことです。
私の心を全部知っていてくださるお方がいる・・・それだけで生きる価値があります。
私たちの心を知り、私たちのすべてを知って、なお愛してくださる。
それが、神様です。


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