10月12日メッセージ「日毎の糧を今日も与えてください」

今年もそろそろクリスマスの準備をはじめる時期になりました。
早いものです。
今年のクリスマスも、日曜学校のお友だちが劇をしてくれることになってます。
降誕劇・・・毎年したとしても、毎年味のちがう劇になって面白いです。


今週のメッセージは・・・
聖書)ルカによる福音書11章3節、5~8節から語られました。
(聖書内容は→こちら

3節には「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください」と書かれている。
イエス様はこの祈りを教えられた。

ここでいう“必要な糧”というのは、私たちが提示する“必要”ではない。
何が必要かさえも、主にお任せするのである。
だから「主はわたしたちに必要なものをご存知です」という意味である。

また、“毎日”というのは、明日の、一ヶ月先のことではない。
“今日”、“今”、“この時”に与えてくださいというものである。

これは、先を見越して祈る祈りでもなく、また自分の必要を満たす祈りでもない。
では、どのような祈りなのか?

それを、5~8節のことをもって、イエス様が教えておられるのである。

ある人は、急な友人訪問のために、窮する。
「困った、どうしよう」と切羽詰る。
この人は、決断を迫られる。
友に頼るべきか、頼らざるべきか・・・。

この決断のとき、この人は、友に頼ることを決断するのである。
真夜中だけれど・・・、恥ずかしいけれど・・・、
でも、自分のところには何もない、自分の力ではどうすることもできないので、
友に助けてもらうために出かけていき、戸をたたいて、必死で頼む。
友に頼ると決断して出てきたこの人は、
その友が面倒かけないでほしいといっても、あきらめずに執拗に頼むのである。


イエス様は、この人こそ、
「日毎の糧を今日も与えてください」
「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください」と祈る者だと示唆された。

私たちがこの言葉を祈るとき、主に頼ると決めて祈っているだろうか?
今、この瞬間に神様が必要だという気持ちで祈っているだろうか?
「自分の力ではどうすることもできない」と必死に、執拗な思いで祈っているだろうか?

これは、このような祈りなのである。

そして、私たちがこの言葉をこのように祈るとき、
神は、私たちに必要なものを何でも与えてくださるのである。
必死で、執拗に友に頼り、友を必要とした、この人のように・・・。


役者というのは、台本に書いてある言葉をただ覚えて言うだけではなれません。
役者は、演じる人になりきるのです。
だから、その人になりきるために、時には体を鍛えたり、短期間に体重を落としたり、
あるいは、原作を読んだり、歴史上の人物なら、どんな人だったか調べたりします。
それで初めて、演じることができるのです。

イエス様が教えられた祈り・・・
これも、イエス様の気持ちになって、イエス様がどんな思いで語られたのかを考えて祈るなら、
ただ単なる言葉ではなく、生きた祈りになるように思います。


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この記事へのコメント

love-hero
2008年10月16日 21:23
今日の必要さえ自分ではわからなく、本当に切実な毎日の、常の祈りだなぁと主の祈りを改めて受け止めさせて頂けて感謝です。
いつも主の御用に間に合う者と必要な糧を与え続けて下さいと祈らされています。
ハレルヤ
管理人
2008年10月18日 18:02
>love-heroさん
主の祈りって、いつも習慣的に祈っているので、なんとなく言葉の羅列のように感じてしまうことがあると思います。
けど、これって、やっぱりイエス様が私たちに教えてくださっている祈りなんだなぁと実感します。
イエス様はやっぱり、私たちのすべてをご存知なんだなぁと思って、主の祈りに感動しています。

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  • 明日のメッセージは・・・

    Excerpt: 今日は寒かったですね~! だから・・・というわけではないのですが、 何かを忘れている・・と思って、やっと思い出しました。 遅くなって申し訳ありません Weblog: AG姫路キリスト教会ブログ racked: 2008-11-08 22:11