9月21日メッセージ「確かな救い」

毎日とっても秋らしくなりました。
秋といえば、食欲の秋でしょ~!
なんといってもおいしいものがたくさんありますからね、秋は。
でも、最近は安心して食べられるものをチョイスしなければなりません。
汚染米・・・食べてるかもなぁ・・・なんて、時々思ったりします。


今週のメッセージは・・・
聖書)ガラテヤの信徒への手紙1章4~5節から語られました。
(聖書内容は→こちら

パウロがガラテヤの人々に「キリストは~」を話し出した、
この箇所が表しているのは、“十字架と救い”である。

そこには、父の御心に従い十字架にかかられたキリスト・・・
それは、わたしたちを罪の世から救い出すことが目的であったことが示されてある。

イエス様は父の御心に従って十字架にかかり、
私たちは、その打たれた傷によっていやされたのである。

聖書には、
「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまずに死に渡された方は、
御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか(ロマ)」
と書かれている。
このことを私たちがしっかりと信じ受け入れるならば、
それが、確かな救いにつながるのである。
十字架のイエスを信じるとき、私たちには、確かな救いが保証されているのである。

パウロとテモテは共に働いていたが、
その救いの体験は同じではなく、全く違ったものであった。
しかし、体験ではなく、信仰によって、同じ主に仕え従っていたのである。
「救われた」ということが彼らの共通点であった。

私たちの救いの体験も、人それぞれに違うだろう。
けれども、私たちは信仰によって、同じように「救われた」ものである。
だから、体験に左右されることなく、
私たちは確かに救われている!という喜びをもって、主に仕える者となっていこう!


前の、「明日のメッセージは・・」のところで、
「イエス様は私たちに罪の責任を負わせない」と書きました。
じゃあ、罪の責任とは何でしょうか?
謝罪?辞任?刑罰?
それは、世の中の話です。
謝罪や辞任、刑罰では、私たちの罪は取り除かれません。
だから、イエス様を信じれば、どんなに罪を犯してもこれらを受けなくてもいいということではないのです。

じゃあ、私たちのもつ罪の結果は何でしょう?
それは、死です。永遠の死です。
世の中には、「死んだ方がマシ」という人がいます。
けど、それは全く逆です。
死ほど苦しく、暗く、辛いものはないのです。
死んだ方が楽になる・・・なんて思うのは、生きながらにして死んだ状態にあるからです。

イエス様は、その死から救ってくださるお方なのです。
私たちの死ななければならない罪を背負って、私たちの身代わりとなって十字架で死んでくださった。
それによって、私たちは本当に生きる者とさせられたのです。

生きるということ・・・。
イエス様を信じて生きるということ。
イエス様を救いを生きるということ。
それだけで、喜びなのです。


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